こんにちは、チコットです!
子供のころはよく見た気がするけど、大人になるとさっぱり見なくなる、見えなくなるものってありませんか。
私のことで言うと、「雨のカーテン」です。
最近、久しぶりに見ました。
雨のカーテン
昼間、見通しのいい道にいました。行く先の方はもう、どんよりと曇り。予報も雨です。
<降られる前に着きたいな>なんて思いながら歩きます。
正面から湿った風が吹いてきて、埃臭いというか土臭いというか、これがなんとも気持ちが悪い。
で、ずっと遠くを見ていると薄暗いんですが、日差しはそんなに変わってなくて、建物や道が少し暗く見えます。
アスファルトがどんどん濃い灰色になり、それが自分の方に伸びてきます。
灰色の先頭には雨が降っていて、アスファルトを濡らしながら私に向かってきます。
<あ、雨のカーテンだ>
目を凝らすと、雨の降っている線みたいなものが見えて、それが膜というか襞というか、灰色のオーロラのようでもあります。一番近いのがカーテンかな。だから<雨のカーテン>て私は呼んでいます。
いつぐらいぶりに見たんでしょうか。少なくとも大人になってからは無い気がします。
子供のころ、特に夏休みにはよく見ました。
なぜ大人になると見えなくなるのか。なんでいま見えたのか・・・
友人の分析
友人に話しても
「子供のころだってそんなの見ないぞ」 そうなの?
「遠い山に掛かってる雲の下が暗くて雨が降ってるっぽく見えるやつか」 違う。目の前に見えるんだっつの。
なんだか話が通じません。
ある友人
「おまえ、その時なんも考えてなかったんじゃない?」 いやそんなことは。
「仕事とか金とか家族とか、大人らしいことを考えずに」 多少、そうかも。
「それに何にもない一本道みたいなとこ、大した理由もなく歩いてたんでしょ」 散歩ですから。
「在宅でブラブラしてんだろ」 サボってはいません。ちょっと長めの散歩だけ。
「子供みたいにブラブラしてっから見ちゃったんじゃない?」見ちゃったって、悪い事みたいに。
「おとなに疲れて子供になっちゃってんだよ、だから見えた。大丈夫かぁ」そーいう考えもあるのか・・・
「ストレスフリーの状態だったから、鼻も目も良く利いて、それで雨に気付けたのかもしれんが」 いや、それでしょ。
「なんにしても、役には立たんな」 言い方あるんじゃないか?
まとめ
<雨のカーテン>は久しぶりに見たのですが、懐かしさも感動もありませんでした。
あぁ久しぶりってだけ。
でも、なんで子供のころから何十年もたってから見られるんだろうという不思議さと、友人の<斜め上>な分析のおかしさが記憶に残りそうです。
なおネットで検索しても私が見たような<雨のカーテン>は見つかりませんでした。
<雨のカーテン>を見れたら幸せになる!!・・・みたいな記事も無いです。
私と同じような雨のカーテンを見ている人、いるのかな。
その人が<大人に疲れて>いないことを祈ります。
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